変わり続ける街で、変わらない輝きを。 歴史と伝統
創業1892年(明治25年)のギンザタナカは、
国内で最も歴史のあるジュエリーブランドのひとつ。
120余年の歴史と伝統に培われた確かな品質を
備えた、
永く愛するにふさわしい
上質なジュエリーや工芸品をお届けし続けています。
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世界に品質を認められ、
貴金属業界を牽引してきた
田中貴金属 田中貴金属の歴史は、1885年(明治18年)、田中梅吉が日本橋に両替商「田中商店」を創業したことにはじまります。
のちに地金商へ転身し、白金工業製品の製造に着手。
1923年には、当時プラチナの主要産出国だったソ連とプラチナ輸入の東洋における総代理店契約を締結。
革新的な技術を生み出すなど、日本の貴金属工業の発展に大きく貢献してきました。
創業当時から変わらない、
確かな品質を貫く姿勢。
1892年、ギンザタナカの前進である貴金属店「山崎商店」を創業した山崎亀吉は、1917年に「東京貴金属品製造同業組合」を設立し、初代組合長に就任。当時日本に存在しなかった 「K18」や「K24」といったゴールドの品位を示す規定を日本で初めて立案するなど、貴金属界の確立に貢献したことでも知られています。
1920年代に高品位の金を用いて作られた櫛と笄にも品位を表す刻印が刻まれています。それは、貴金属の信用と品質を守り抜こうとする創業者の志の証。
彼の想いは、確かな品質を貫くギンザタナカの姿勢として、今日、私たちに受け継がれています。
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ダイヤモンドの先駆者としての、
変わらぬ想いを胸に。 私たちは創業間もない頃から世界に目を向け、西洋の美を積極的に取り入れてきました。たとえばダイヤモンドもそのひとつ。
ギンザタナカが日本にダイヤモンドを広めたことは、日本初と言われるダイヤモンド専門書 『ダイアモンド』を発刊したことからも分かります。当時「真珠のミキモト・時計の服部・ダイヤモンドの山崎商店」と謳われ、ダイヤモンドを礎にその名を広めていきました。
今日では、熟練工の技術を結集した、独自のカット技術の開発など、新しい美を追求し続けています。 -
安心という品質をすべての人へ。
リングのサイズ基準統一に
取り組んだ大正時代。 大正時代の初期まで、それぞれのジュエラーが独自のサイズ基準で指輪のサイズを計測していました。
しかし、それではお客さまがお求めになりづらいことから、ギンザタナカの創業者である山崎亀吉は組合を通じ、欧米にならったサイズ基準を取り入れ、統一に取り組みました。いまでは、恋人の薬指のサイズで婚約指輪を買っていかれる男性のお客さまがいらっしゃるように、当たり前となっている指輪のサイズ基準。その普及にもギンザタナカは深く関わっています。
日本中に広げた金の品位基準。
今に受け継れる匠の技。
指輪のサイズ基準と同様に、私たちが普及に尽力したのが金の品位基準です。大正時代の日本には、K18やK24といった、金の品位を表す検定・管理制度はまだありませんでした。低品質の金の売買を排除して、熟練の技をいかした美しい金工芸品やジュエリーを安心してお求めいただきたい。創業者は業界を代表して金の検定制度を立案し、品位を明示する基準の普及に努めました。この制度は造幣局に移管され、貴金属製品の信頼の証として現在まで受け継がれています。
貴金属メーカーならではの確かな目で、
信頼のおける品質を誠実に守る。
グループ会社である田中貴金属工業(株)は、1978年に日本で初めてロンドン金市場(現在のLBMA=ロンドン地金市場協会)「公認溶解業者」の認定を受けました。
その後、2003年には、ロンドン地金市場協会(LBMA)より、金および銀の溶解業者の溶解技術と分析能力を審査する「公認審査会社」に選ばれました。
さらに、2009年にはロンドン・プラチナ・パラジウム・マーケット(LPPM)の「公認審査会社」の認定も受け、いずれも世界で5社・日本では田中貴金属工業(株)が任命されています。
金・プラチナの両分野で、世界水準の技術と信頼を獲得している田中貴金属工業(株)の地金を、ギンザタナカはジュエリーや工芸品に使用しています。
親御さまからお子さまへ。銀座の街で続く、代々にわたるお付き合い。
親子代々のお付き合い。それも、銀座ならではのストーリーのひとつ。
ギンザタナカにも結婚十年目、二十年目の記念に、ダイヤモンドリングをご購入いただいたご夫婦がいます。お付き合いが続く中でお子様が誕生し、そのお嬢様の結婚指輪選びをお手伝いできたことは、スッタフ一同、大変幸せな時間でした。
宝飾品を通して末永くお付き合いいただくために、私たちは銀座本店内にクラフトマンが常駐する工房を併設。ジュエリーの販売だけでなく、アフターケア(リフレッシュ・リペア)やリフォームにも力を入れています。