田中貴金属ジュエリー株式会社

今までも、これからも ギンザタナカのサステナブルな活動をお伝えするコラム

第 1 回
続けてきました、
続けていきます

「SDGs」などを通じ、
サステナブル=持続可能であることの大切さが
世の中に浸透しはじめています。
今のままでは人類が危ないという危機意識が、
その根幹にあります。
ひとつの企業として、どこまで貢献できるか。
わたしたちのことを見直し、
それを皆様にお伝えしていくことで、
少しでも空気を変えることができれば──
そんな想いが、このコラムに集まりました。
これから定期的に、ギンザタナカの
サステナブルな活動をご紹介していきます。

1892年以来、
わたしたちは続けてきました

はじめに、わたしたちギンザタナカの歴史についてお話ししたいと思います。
ギンザタナカは、1892(明治25)年に創業された「山崎商店」がルーツです。創業者は山崎亀吉。東京・日本橋で時計を扱ったり貴金属装身具の製造販売を行ったりしていました。

1926(大正15)年に銀座の現在の場所に移転し、営業を続けています。
山崎亀吉は創業間もない頃からダイヤモンドや宝飾品を積極的に広めてきました。販売するだけでなく、品質を保証する刻印、指輪サイズ基準の統一、金の品位表記法など、今に続く貴金属ジュエリーのさまざまな基礎も確立しました。
西洋から入ってきた宝飾品が普及し始めた当時の日本では、消費者が混乱したり騙されたりすることも少なくありませんでした。山崎はそれを改善することでお客様の役に立ち、業界の地位向上につながると考えたのです。

1917(大正6)年に「東京貴金属品製造同業組合」を設立したことも、業界の信用を高める上で役立ちました。
またダイヤモンドに関しては、日本初と言われるダイヤモンド専門書『ダイアモンド』を山崎商店出版部より発刊。ダイヤモンドの歴史から科学的な成分の分析、カットの技法などを網羅した一冊でした。こういった活動にも裏付けられ、「真珠のミキモト・時計の服部・ダイヤモンドの山崎商店」と謳われることもあったそうです。戦後も銀座の地で貴金属ジュエリーや貴金属地金を取扱い、田中貴金属ジュエリー/ギンザタナカと社名・ブランド名は変更しましたが、山崎亀吉の想いはそのまま持続されています。

田中 梅吉 山崎 亀吉

時代が変わっても、
わたしたちの本質は変わりません

先にお話しした通り、山崎は貴金属業界の信用を確立するため、さまざまな活動を行っていました。
業界団体を設立して政府へ提言を行うほか、貴族院の議員にもなり、各方面へ精力的に働きかけます。しかしそのため経営に関わる時間がとれなくなっていたところ、原材料の取引があった田中商店へ経営移譲の話が持ち上がり、山崎商店は、1930(昭和5)年、田中商店(現・TANAKAホールディングス)に経営権が引き継がれます。貴金属業界の地位向上に身を捧げていたことが、両者にとってプラスの結果になったのかもしれません。当時の田中商店社長・田中一郎は、山崎亀吉が業界にもたらした大きな功績に敬意を表し、社名も「株式会社山崎」のまま続けることとしました。

さて、山崎商店の経営を引き継いだ田中商店は1885(明治18)年、田中梅吉によって日本橋で創業。
両替商として出発し、のちに地金商へと転身します。そして両替の事業を行う際に培った溶解・分析・精製技術を活かし、貴金属の工業製品の開発・製造も手がけるようになりました。希少で高価な貴金属を取り扱うにあたり代々大切にしてきたものは、やはり「信頼と安心」です。これらは、企業が存続していく上で最も大切な要素でしょう。同時に、持続可能な社会をつくるための礎でもあります。関わりを持つ社員やスタッフたちが、どう行動していくかの指針になるからです。言葉にすると当たり前ですが、これをコツコツと続けていくことが何にも勝ることだと、わたしたちは思っています。

銀座山崎の社屋

なぜ今「サステナブル」を
語るのでしょう

「サステナブル=sustainable」は「持続可能な」と訳されます。
環境破壊が進み、自然の営みが損なわれ、その結果地球の気候が大きく変わっている今、このままでは人類の存続が危ないという危機意識が強くなっています。加えて、人口爆発・貧困や飢餓・人権問題など、大きな問題も山積みです。
それらを解決し、いわゆる「サステナブルな社会」を目指していくにはどうしたらいいか、という想いから導き出された運動が「SDGs」です。「貧困をなくそう」「人や国の不平等をなくそう」「気候変動に具体的な対策を」など17の目標を定め、あらゆる人たちが目標を達成するために行動していこうというもの。これについてはニュースや各種サイトで詳しく論じられているので、今回あまり深くは触れず、「ギンザタナカは何を持続してきたか」をお伝えしようと思います。

振り返ってみればわたしたちも「続ける」ことで、お客様に変わらぬ価値をお届けしてきたと言えます。
今までお話ししてきたように、創業者の山崎亀吉はダイヤモンドや貴金属ジュエリーの統一規格を定めるなどして業界の地位向上、信用の獲得に尽くしてきました。またそれ以外にも、リサイクルの推進や原料調達の国際ルール遵守など、「SDGs」が提唱されるはるか前から、サステナブルな社会に結び付く活動を行っています。
このコラムシリーズから声をお届けすることで、少しでも皆様にギンザタナカの別の側面を知っていただければと思っています。

SDGs

これから、
こんな発信を予定しています

ではわたしたちが取り組んできたこと、これからも取り組んでいくことを、大まかにご紹介していきましょう。

●貴金属の調達
児童労働をはじめとする人権侵害、テロリストへの資金供与、マネーロンダリング、不正取引などを排除した貴金属の「責任ある調達」に取り組んでいます。

●ダイヤモンドの調達
世界の紛争地域で産出されたダイヤモンドの取引を根絶するため、すべての供給先に「キンバリープロセス証明書」(紛争ダイヤモンド非該当証明書)の遵守を求めています。

●金の永続的価値
太古から人類とともにあった金。その変わらぬ価値が果たしてきた歴史や、コインについての知識などをお伝えします。

●外部活動への協賛
ピンクリボン活動、プラチナ・ウーマンなど、女性の健康福祉や地位向上に関わる外部の活動へ協賛や寄付などを行っています。

●創業者山崎亀吉が貴金属組合として行ったこと
「K**」表記の提唱、指輪サイズの統一、業界の健全化への取組みなどを紹介。それらが現代にもたらした功績を語ります。

●TANAKAホールディングスの取組
グループ全体で取り組んでいる環境保全活動など。

これらのほかにも、お伝えしたいことはまだたくさん控えています。少しずつですが、これからご紹介を続けていくことができればと思っています。

コインバージュエリー ゴールドバー/プラチナバー

貴金属ジュエリーといっしょに、
未来へ

今までお話ししてきたように、サステナブルやSDGsがクローズアップされるずっと前から、わたしたちギンザタナカは「続けて」きました。
でも、一企業のサステナブルな活動によって何が変わるの?それを紹介することがどんな意味を持つの?──そんな疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
ギンザタナカは、貴金属を取り扱っており、それは暮らしや心の豊かさを生むと同時に、社会全体の資産でもあると思っています。
わたしたちが今まで実行してきたことをさらに続けていくのなら、少しでも貢献できるのではないでしょうか。愚直かもしれません。しかしそれによって、過去から現在、そして未来までつなげていく道筋が見えてくることでしょう。

橘 千佳

CHIKA TACHIBANA

(ギンザタナカ販売企画室室長)

商品開発や販促・広報全般を担当。
貴金属という限りある資源を扱っている限り、未来につながる持続可能な社会をつくることは、わたしたちの大切な使命だと思っています。
毎日の生活でも、フードロスを減らしたりリサイクルで資源節約にいそしんだり、いろいろな取り組みに励んでいます。